大判例

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東京高等裁判所 昭和54年(行ケ)118号 判決

原告

岩崎通信機株式会社

被告

特許庁長官

主文

特許庁が、昭和53年審判第8290号事件について、昭和54年6月12日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  原告は、主文同旨の判決を求めた。

2  被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和45年5月13日、名称を「積分回路」とする発明(以下、「本願発明」という。)について特許出願をした(同年特許願第40039号)。同出願は、昭和51年6月5日、特許出願公告された(同年特許出願公告第17860号)が、特許異議の申立があつた。原告は、昭和52年3月28日付手続補正書を提出し明細書の補正(以下、「本件補正」という。)をしたが、昭和53年3月7日、本件補正を却下する旨の決定、特許異議申立は理由があるものとする決定及び拒絶査定がされた。原告は、同年6月7日、右拒絶査定に対する審判を請求し、補正却下決定に対する不服をも申し立てた。特許庁は、これを同年審判第8290号事件として審理した上、昭和54年6月12日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年6月27日、原告に送達された。

2  本願発明の特許請求の範囲

1 本件補正前の特許請求の範囲

直流増幅器を含む積分器と該積分器の入力側に配置される前置増幅器よりなる積分回路において前記直流増幅器として差動増幅器を用い、前置増幅器を介して該直流増幅器に印加されるべき被測定信号が印加されないときのその出力を極性反転用直流増幅器を介して該差動増幅器の一方の入力に帰還して定常状態になつたときに帰還信号として前記積分器及び前記前置増幅器のドリフトを前記積分回路の入力側に換算した電圧をとり出して前記差動増幅器の一方の入力に印加し続けるためのドリフト記憶回路を備え、前記帰還信号と前記前置増幅器を介して印加される前記被測定信号との差動合成信号を前記積分器の入力とすることにより、前記前置増幅器及び前記直流増幅器のドリフトを除去し得るようにしたことを特徴とする積分回路。

2 本件補正により補正された特許請求の範囲

右1の特許請求の範囲に「……前記直流増幅器として差動増幅器を用い、前置増幅器を介して」とあるのを「……前記直流増幅器として差動増幅器を用い、前置増幅器の入力端の接地により該前置増幅器を介して」と訂正し、「……前記前置増幅器のドリフトを前記積分回路の」とあるのを「……前記前置増幅器のドリフトを前記積分器の」と訂正するほかは、右1の特許請求の範囲の記載と同一である。

3  審決の理由の要点

1 本件補正後の本願発明(以下、「本願補正後の発明」という。)の要旨は前項2に記載のとおりである。

2 英国IERE発行の講演集「Proceedings of the Joint Conference on Digital Methods of Measure-ment」(1969年7月23日ないし25日開催)の236頁第2図(以下、「第1引用例」という。)には、「差動増幅器を含む積分器と前記積分器の入力側に配置される入力増幅器と前記積分器の出力側に配置される零検出増幅器よりなる積分回路において、差動増幅器の入力端の他方を接地することにより、前記差動増幅器に被測定信号が印加されないときのその出力を零検出増幅器を介して前記差動増幅器の入力端の一方に帰還して、定常状態になつたときに、帰還信号として、前記積分器及び零検出増幅器のドリフト電圧を前記積分器の入力端の他方に換算した電圧をとり出して、前記差動増幅器の入力端の一方に印加し続けるためのドリフト記憶回路であるコンデンサC2を備え、前記帰還信号と前記積分器の入力端の他方に印加される前記被測定信号との差動合成信号を前記積分器の入力とすることにより、前記差動増幅器と前記零検出増幅器のドリフト電圧を除去し得るようにしたことを特徴とする積分回路」が記載されている(以下、この回路を「第1引用例の回路」という。)。

また、特公昭38―13466号公報(以下、「第2引用例」という。)には、「多段直結型の直流増幅器において、多段直結型の直流増幅器の入力端を接地することにより、前記多段直結型の直流増幅器に被測定信号が印加されないときのその出力を負帰還増幅器を介して前記多段直結型の直流増幅器の第2段目に帰還して、定常状態になつたときに、帰還信号として、前記多段直結型の直流増幅器のドリフト電圧を前記多段直結型の直流増幅器の第2段目の入力端に換算した電圧をとり出して、前記多段直結型の直流増幅器の入力端に印加し続けるためのドリフト記憶回路を備え、前記多段直結型の直流増幅器のドリフト電圧を除去しうるようにしたことを特徴とする多段直結型の直流増幅器。」が記載されている。

3 本願補正後の発明と第1引用例の回路を対比すれば、後者の「入力増幅器」は前者の「前置増幅器」に相当する。そうとすると、両者の相違点は、次のとおりである。

(1)  本願補正後の発明が積分器の入出力端間に反転増幅器を含むドリフト記憶回路を接続しているのに対し、第1引用例の回路では、積分器の入力端と零検出増幅器の出力端の間に反転増幅器を含まないドリフト記憶回路を接続している点(相違点(1))

(2)  本願補正後の発明が前置増幅器の入力端の接地によりそのドリフト電圧をも除去しているのに対し、第1引用例の回路では、差動増幅器の入力端の他方を接地するので前置増幅器のドリフト電圧は除去していない点(相違点(2))

4  そこで、右各相違点について検討する。

(1)  相違点(1)について

第2引用例には、本願補正後の発明の「反転増幅器」に相当する「負帰還増幅器」を含むドリフト記憶回路によつて、多段直結型の直流増幅器のドリフト電圧を除去することが記載されている。したがつて、第1引用例の回路において、零検出増幅器がない場合に、積分器のドリフト電圧を除去しようとすれば、積分器の入出力間に反転増幅器を含むドリフト記憶回路を設ければよいことは、第2引用例の記載から、当業者が容易に想到しえたところと認められる。

(2)  相違点(2)について

(1) 第1引用例の回路において、そのドリフト電圧除去の原理が「ドリフト電圧蓄積期間中、被測定信号がないときに、差動増幅器の他方の入力端に生じたとみなしうるすべての電圧がドリフト記憶回路に蓄積され、その蓄積された電圧が動作期間中に入力電圧を減ずるように作用するところにある」ことは明らかである。

(2) そうとすると、そのドリフト電圧蓄積期間中に前置増幅器のドリフト電圧が差動増幅器の他方の入力端に加われば、それもまた除去されることは、原理上自明である。

(3) そして、前置増幅器のドリフト電圧は、前置増幅器の入力端を接地したときに、出力端に現われることも周知である(例えば、昭和34年6月30日株式会社オーム社発行(電子計算機アナログ計算機編」((以下、「第3引用例」という。))の62頁第4・2図参照)。さらに、第2引用例に記載されている多段直結型の直流増幅器のドリフト電圧除去技術は、多段直結型の直流増幅器の入力端を接地したときのその出力を反転増幅器を介して多段直結型の直流増幅器の第2段目に帰還ることである点も合わせ考えれば、前置増幅器のドリフト電圧をも除去すべくその入力端を接地することは、容易に想到しえたというべきである。

5(1)  請求人(原告)は、第1引用例の回路では、前置増幅器のドリフト電圧が大きな影響をもつことの認識があるのに、その解決がなされていないことを根拠に、本願補正後の発明の技術思想は第1引用例には何ら示唆されていない旨主張する。しかし、ドリフト電圧があれば、それを除去しようとすることは、当業者ならば当然考えることである。そして請求人(原告)の指摘する第1引用例の244頁1ないし16行の記載の趣旨は、すべてのDVMの性能は入力増幅器の性能に非常に依存するものであるが、そのことはDVMに用いられる技法とは無関係でデュアル・ランプ原理に特有のことではないから入力増幅器はこの論文では簡単に取扱われているというにすぎないから、当業者が必要に応じて入力増幅器のドリフト電圧を除去する適当な手段を設けることを妨げるものとは解しがたい。

(2)  さらに、請求人(原告)は、第2引用例では直流増幅器のドリフト電圧を除去しているのであつて積分器のドリフト電圧を除去していないから、本願補正後の発明とは無関係であると主張している。しかし、本願補正後の発明は、その特許請求の範囲の記載からも明らかなように、直流増幅器を含む積分器において、直流増幅器のドリフト電圧を除去しているのであるから、請求人(原告)の右主張は採用できない。

6  したがつて、本願補正後の発明は、第1、第2引用例に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから、特許法第29条2項により特許を受けることができない。そうすれば、同法54条の規定により本件補正を却下すべきものとした決定は正当なものであつて、これを取り消す必要は認められない。

7  そうすると、本願発明の要旨は前記21に記載されたとおりのものと認められ、本願発明は、右に述べた本件補正を却下した決定を正当とする理由と同様な理由によつて、特許を受けることができない。

4 審決を取り消すべき理由

審決の理由の要点1ないし3、4(1)は認める。4(2)、5ないし7は争う。

審決は、相違点(2)につき、第1引用例に基づく仮定の設定とその判断を誤り(取消事由(1))、積分器のドリフト除去と直流増幅器のドリフト補償との差異を看過し(取消事由(2))、本願補正後の発明における特有の効果を看過し(取消事由(3))、誤つた結論に至つたもので、取り消されなくてはならない。

1 第1引用例に基づく仮定の設定とその判断の誤り(取消事由(1))

(1)  審決は、相違点(2)についての検討(審決の理由の要点4(2)(1))において、第1引用例のドリフト電圧除去の原理を認定しているが、そのうち「差動増幅器の他方の入力端に生じたとみなしうるすべての電圧」とは、「差動増幅器の入力側に換算された等価ドリフト電圧」を意味するものと解すべきである。

(1) 一般に「差動増幅器」という場合は、ドリフト電圧のある差動増幅器を意味することは当業者に周知の事実である。ただ回路の理論的解析を行うときに、便宜上、現実のドリフトのある差動増幅器を「ドリフトのない仮想の差動増幅器」と「差動増幅器の内部で生じたドリフト電圧をその入力端に換算した直流電圧」とよりなる等価回路で表すことがあるだけである。したがつて、審決の右記載を等価回路で表わした回路についていえば、「ドリフトのない差動増幅器の他方の入力端に生じたとみなしうるすべての入力換算の等価ドリフト電圧」となる。第1引用例の回路において、このように解釈した場合の「等価ドリフト電圧」のみが、現実にドリフト電圧蓄積期間中にドリフト記憶回路に蓄積されるのである。

(2) 被告は、「当業者が第1引用例の回路を見れば、差動増幅器の他方の入力端に、どのような直流電圧を加えても、この直流電圧は、ドリフト記憶回路に蓄積される、ということがわかる。」と主張するが、誤りである。ここでいう「どのような直流電圧を加えても」の直流電圧は、等価回路上からは、右に述べたところから明らかなように「入力側に換算された等価ドリフト電圧」にのみ限られるべきであり、その印加の態様も、原回路と等価な回路となる構成に限られる。もし等価ドリフト電圧以外の電圧を追加すれば、もはや原回路の等価回路ではなくなることは明らかであり、このような別の電圧の印加を第1引用例は全く想定していない。まして、入力換算の等価ドリフト電圧を積分コンデンサの外側に配置した回路は、第1引用例とは構成作用を異にし、完全に原回路の等価回路ではなくなつているものであるから、当業者が第1引用例の回路を見て、これを想定することはありえない。

(3) これを別紙第2図面で説明する。第A図は第1引用例の回路である。これは、第B図の等価回路で示すことができる。第B図において、スイツチS3、S4をオンにし、S1をオフとすると、第C図となる。第A図は現実の回路であり、これの等価回路としての第B図は、当業者ならば想定できる。また、第B図における各スイツチ(S1、S3、S4)に特定の条件を与えたものである第C図も容易に推定できる。これは現実の回路を等価回路として表わしたものだからである。

そこで、第D図をみると、ドリフト電圧であるV2が積分コンデンサC1による帰還ループの外に出ている。ドリフト電圧のない差動増幅器とそのドリフト電圧V2とは一体不可分のものであるから、第B図、第C図のように表わすことに何の無理もない。しかし、それを分離した第D図は、現実には存在しえない回路であり、当然ながら第C図の回路の等価回路ではない。

等価回路は現実の回路の動作を解析する場合に用いる手段であり、各素子をその機能に応じて純粋化(理想化)した素子に分解して表わしたものである。また、現実の増幅器はドリフトを有するものであるから、これらのドリフトを問題とする場合には、ドリフト電圧とドリフトのない理想的増幅器とをもつて表わすのである。

したがつて、第D図に示すような接続は現実にはありえないものであり、第C図の回路の等価回路ではないから、当業者は第C図から第D図を想定することはできない。さらに、ドリフトのある差動増幅器をドリフトのない理想的な増幅器とドリフト電圧V2とに分離し、これらとC1とで回路を構成できるものであれば、ドリフト電圧の除去を考える必要もないのであるから、ドリフト電圧のない差動増幅器とC1との組合わせによる回路からドリフト電圧を除去しようと考えることはない。この意味からも、当業者が第C図から第D図を想定することはありえない。

(2)  審決は、相違点(2)につき、「そうすると、そのドリフト電圧蓄積期間中に前置増幅器のドリフト電圧が差動増幅器の他方の入力端に加われば、それもまた除去されることは、原理上自明である。」(審決の理由の要点4(2)(2))と述べるが、右の仮定は第1引用例の回路からは成立せず、したがつて、「原理上自明」との結論も生じない。

第1引用例の回路(別紙第2図面第A図)では、ドリフト電圧蓄積期間中には積分器を構成する差動増幅器の入力端をスイツチS3により接地するように構成されている。したがつて、ドリフト電圧蓄積期間中には、差動増幅器A2及び出力側に接続された増幅器A3のドリフト成分がドリフト記憶回路のコンデンサC2内に蓄積されるだけであつて、前置増幅器A1のドリフト電圧成分は右入力端の接地により差動増幅器A2の他方の入力端に印加されえない。また、第1引用例の回路の等価回路の範囲において、右の仮定を実現する回路はありえない。

このように、第1引用例の回路は、積分コンデンサC1の外側から入力される前置増幅器A1のドリフト電圧がドリフト電圧蓄積期間中に差動増幅器A2他方の入力端に印加されることを全く教示していない。そして、右(1)に述べたとおり、第1引用例において、「差動増幅器の他方の入力端に生じたとみなし得る電圧」は差動増幅器以降のドリフトをその入力に換算した等価ドリフト電圧であり、当然に前置増幅器のドリフトとは全く異なるものであるから、両者を同一であるとすることはできず、審決のいう仮定は成り立たない。したがつて、この成立しない仮定を前提とする「それもまた除去されることは、原理上自明である。」との結論は明らかに誤りである。

2 積分器のドリフト除去と直流増幅器のドリフト補償との差異の看過(取消事由(2))

審決は、第2引用例に記載されている直流増幅器のドリフト補償の原理を相違点(2)についての判断のための技術として引用しているが、誤りである。

第2引用例に示されているのは、多段直結型の直流増幅器のドリフト補償技術であり、この多段直結型増幅器のドリフト補償では、出力電圧からドリフト成分を完全に除去することはできず、直流出力にドリフトが残存する。これに対し、本願補正後の発明は、積分回路のドリフト除去技術であつて(別紙第1図面参照)、直流増幅器としてのドリフトを残存していても、積分出力の傾斜に対しては前置増幅器を含む積分回路内の多段増幅器のドリフトの影響を完全に除去することを要旨とするものであるから、本願補正後の発明のドリフト電圧除去技術は、第2引用例のドリフト電圧除去技術とは直接的関連を有しない。このような相違を無視し、相違点(2)の判断に当つて第2引用例を引用したことは、明らかに適用技術を誤つている。

3 本願補正後の発明における特有の効果の看過(取消事由(3))

(1)  積分回路には、入力インピーダンスを高くするためや微少入力電圧を増幅して積分するために、前置増幅器が必要である。前置増幅器や積分器に用いられる直流増幅器のドリフトは、出力電圧の絶対値の変動として現われ、これを完全に除去することは現在の技術ではほとんど不可能に近い。従来、積分器内の直流増幅器のドリフトの影響は、積分回路の出力の立上りに影響がない形で除去されることは判明していたが、前置増幅器のドリフトが積分回路の出力誤差の重大な要素であることは認められていながら、これに対する有効な解決策は発見されていなかつた。

本願補正後の発明は、積分回路のドリフト除去は、積分出力の傾斜に対するドリフトの影響を除去することであるという目的を明確に把握し、前置増幅器を含む積分回路において、前置増幅器のドリフトが積分出力の傾斜に最も大きく影響するドリフトであることを考慮し、その前置増幅器のドリフトは直流増幅器のドリフトとしては除去できないことを認めた上で、なお積分出力の傾斜に対して、それが影響しないように回路を設定したものである。すなわち、本願補正後の発明の積分回路においては、前置増幅器の入力を接地して行うドリフト蓄積期間中に積分電流が流れなくなつたときに、前置増幅器のドリフトを含んでドリフト補償が行なわれ、このため、積分期間には、前置増幅器のドリフトには全く影響されることなしに、入力電圧に対応した傾斜で積分出力が立上ることになる。

(2)  これに対し、第1引用例の回路(別紙第2図面第A図)においては、前述のとおり、ドリフト電圧蓄積期間中には、差動増幅器A2の他方の入力端をスイツチS3により接地するように構成されている。このため、前置増幅器のドリフト電圧は、差動増幅器の他方の入力端に加わりえず、したがつて、前置増幅器A1の出力のドリフトの積分動作への影響を除去することはできず、前置増幅器A1のドリフトの大小により同じ入力電圧でも積分回路の出力の傾斜が異ることになる。このように、第1引用例においては、その中の「この論文では、入力増幅器は簡単に取り扱われてきた。すべてのデイジタル・ボルトメータの性能は、用いられている技術に関係なしに、入力増幅器の性能に大きく依存するものであり、デユアルランプ原理に特有のことではない。」(甲第6号証訳文3頁8ないし12行)、「電圧ゼロドリフトは平均0.1μV/℃で主として入力増幅器による。」(同4頁1・2行)の記載から明らかなように、入力増幅器すなわち前置増幅器のドリフトが積分回路のドリフトの最大要因であることが認められていながら、何等の対策も示されておらず、前置増幅器を有する積分回路における前置増幅器のドリフト補償の思想は全く示されていない。

また、第2引用例に本願補正後の発明の積分回路のドリフト除去技術が記載されていないことは、前記のとおりである。

(3)  以上のとおり、第1、第2引用例には本願補正後の発明の技術思想について全く記載されていない。本願補正後の発明の積分回路が第1、第2引用例に示されている従来技術によつては達成不可能な前置増幅器を含む積分回路内の多段増幅器のドリフトによる積分出力波形への影響を完全に除去するという特別の効果を有することは明らかである。

審決は、このような本願補正後の発明の顕著な効果を看過し、その結果、誤つた判断をしたものである。

第3請求の原因に対する認否、反論

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。同4の主張は争う。

2  審決の認定判断は正当であり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がない。

1 取消事由(1)について

(1)  第1引用例の回路(別紙第2図面第A図)における「ドリフト電圧のある差動増幅器」は、「ドリフト電圧のない差動増幅器」と、「差動増幅器のドリフト電圧」を「ドリフト電圧のない差動増幅器」の他方の入力端に換算して表わした「直流電圧V2」とで表わすことができる(同第B図)。一般に、「差動増幅器」という場合は、「ドリフト電圧のない差動増幅器」を指すので、第B図の回路を電気回路の知識のある当業者が見れば、「差動増幅器の他方の入力端に直流電圧V2が加わつたもの」と解釈することができる。そして、直流電圧V2はどのような直流電圧でもよいのであるから、電気回路の知識がある当業者が第1引用例の回路を見れば、差動増幅器の他方の入力端に、どのような直流電圧を加えても、この直流電圧は、ドリフト記憶回路に蓄積される、ということがわかる。

以上の理由により、審決では、第1引用例の回路を「差動増幅器の他方の入力端に生じたとみなしうるすべての電圧がドリフト記憶回路に蓄積され、」と認定したのである。ここでは、ドリフト電圧除去の原理を述べているのであるから、「電圧」は「直流電圧」である。

(2)  審決は、右の内容を有するとして認定した審決記載の第1引用例のドリフト電圧除去の原理を前提として、「そうすると、そのドリフト電圧蓄積期間中に前置増幅器のドリフト電圧が差動増幅器の他方の入力端に加われば、それもまた除去されることは、原理上自明である。」と認定したのである。これをわかりやすく書き直すと、「そうすると、そのドリフト電圧蓄積期間中に前置増幅器のドリフト電圧が差動増幅器の他方の入力端に加わると仮定すれば、この電圧も差動増幅器の他方の入力端に生じたとみなしうる電圧であるから、それも、また除去されることは、第1引用例の回路のドリフト電圧除去の原理である『ドリフト電圧蓄積期間中、被測定信号がないときに、差動増幅器の他方の入力端に生じたとみなしうるすべての電圧がドリフト記憶回路に蓄積され、その蓄積された電圧が、動作期間中に入力電圧を減ずるように作用するところにある。』から、自明である。」ということになる。

2 取消事由(2)について

審決の認定するとおり、第2引用例に記載されている多段直結型の直流増幅器のドリフト電圧除去技術は、多段直結型の直流増幅器の入力端を接地したときのその出力を、反転増幅器を介して多段直結型の直流増幅器の第2段目に帰還することである。この第2引用例の回路と本願明細書第4図(別紙第1図面第4図)とを比較すれば、第2引用例の直流増幅器(T11)が、本願発明の前置増幅器(16)に相当することは明らかである。したがつて、第2引用例には、前置増幅器の入力端を接地して、前置増幅器のドリフト電圧を除去する技術が記載されている。

この技術と第3引用例により周知の前置増幅器のドリフト電圧は、前置増幅器の入力端を接地したときに、前置増幅器の出力端に現われることを考慮すれば、これを第1引用例の回路に適用し、審決の述べるとおり、第1引用例の回路の前置増幅器のドリフト電圧をも除去すべく、前置増幅器の入力端を接地することは、容易に想到しえたというべきである。

したがつて、審決の右結論を得るために第2引用例が必要なことは、明らかである。

3  取消事由(3)について

原告が主張する本願発明の効果は、第1、第2引用例と周知技術(第3引用例)から容易に想到しうる本願発明の回路が有する当然の効果であつて、これを顕著な効果ということはできない。

第4証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

1  請求の原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の審決取消事由について検討する。

1 取消事由(1)について

(1)  第1引用例の236頁第2図に審決がその理由の要点2で認定した回路(第1引用例の回路)が記載されており、この回路図の差動増幅器、零検出増幅器をA2、A3とし、その「INPUT AMP.」すなわち入力増幅器(前置増幅器)をA1と表示した回路図が別紙第2図面第A図に示すとおりであることは当事者間に争いがない。この第1引用例の回路と成立に争いのない甲第6号証により認められるところの第1引用例中の右回路を説明した「積分器と零検出増幅器の両方のドリフトは、時分割技術によつて補償できる。……図2は積分器と零検出増幅器の両方のドリフトを補償する回路である。デイジタル化が起つた後、S3およびS4がオン状態に切換えられて、両増幅器のドリフトがS2に蓄えられる。S3にかかる電圧が無ければ、傾斜率を変えて較正誤差を生ずるドリフトはすべて相殺される。」(同号証訳文1頁5ないし15行)との記載によれば、第1引用例の回路は、差動増幅器と零検出増幅器のドリフトを除去するように設定された回路であり、審決が相違点(2)として挙げているように前置増幅器のドリフト電圧を除去するものではないことが明らかである。

右事実によれば、第1引用例の回路において、ドリフト電圧蓄積期間中にドリフト記憶回路であるコンデンサC2に蓄積されるのは差動増幅器と零検出増幅器のドリフト電圧であり、その蓄積された電圧が動作期間中に入力電圧を減ずるように作用するところにそのドリフト電圧除去の原理があることが認められる。

(2)  被告は、「電気回路の知識がある当業者が第1引用例の回路を見れば、差動増幅器の他方の入力端に、どのような直流電圧を加えても、この直流電圧は、ドリフト記憶回路に蓄積される、ということがわかる。」と主張する。

そして、第1引用例の回路におけるドリフトのある各増幅器を等価的にドリフトのない増幅器と増幅器の入力端に印加されたドリフト電圧(直流電圧)とに分けて考えると、第1引用例の回路が別紙第2図面第B図の回路で表わすことができることは当事者間に争いがない。被告の右主張は、このように想定された第B図の等価ドリフト電圧V2を差動増幅器とは全く関係のない外部からの電圧にまで拡大することが当業者にとつて自明というものであるが、右の電圧V2はあくまで差動増幅器で発生するドリフト電圧を等価的に入力に換算したものであり、本来、差動増幅器とは一体不可分のものであるから、第1引用例の回路から当業者がその等価回路として第B図を想定したとしても、また、第1引用例の回路の等価回路としての第B図を示されたとしても、その当業者は右電圧V2を等価ドリフト電圧と認識するに止まることが明らかである。一方、等価ドリフト電圧V2を外部からの電圧にまで拡大するということは、積分器を構成する差動増幅器A2、コンデンサC1、抵抗R1の外側(第B図におけるR1の左側)から右電圧V2を印加することであつて、(同第D図参照)この場合第B図ひいては第1引用例の回路とはその回路接続を全く異にする回路となることも明らかである。したがつて、当業者が第1引用例の回路から右の全く異なる回路を想定することを直ちに自明ということはできないというべきである。このことは、前掲甲第6号証により認められる第1引用例中の原告が取消事由(3)の(2)で引用する記載から明らかなように、第1引用例においては前置増幅器のドリフトが積分回路の出力に影響があることを認めながら、このドリフトが残存することのみを記載しこれを除去することに想到していないことからも裏付けられる。

したがつて、審決認定の第1引用例の回路によるドリフト電圧除去の原理の記載中の「差動増幅器の他方の入力端に生じたとみなしうるすべての電圧」を被告の右主張のとおりとすると、右審決の認定は誤りといわなければならない。

(3)  以上のとおり、第1引用例の回路において、ドリフト電圧蓄積期間中にドリフト記憶回路に蓄積されるのが差動増幅器と零検出増幅器のドリフト電圧に限られ、その積分器の外側からの直流電圧をも想定するものでないのであるから、第1引用例の回路の前示(1)に認定したドリフト電圧除去の原理に基づき、審決のいうように「ドリフト電圧蓄積期間中に前置増幅器のドリフト電圧が差動増幅器の他方の入力端に加われば、それもまた除去されることは、原理上自明である。」との結論を導き出すことができないことは、明らかであるといわなければならない。

2 取消事由(2)、(3)について

第2引用例に審決がその理由の要点2に認定する多段直結型の直流増幅器が記載されていることは、当事者間に争いがない。右記載と成立に争いのない甲第7号証によれば、第2引用例の開示するドリフト補償技術は多段直結型の直流増幅器のドリフト補償を目的とするものであつて、第2引用例の回路において、前置増幅器の入力端を接地したときのその出力を反転増幅器を介して多段直結型の直流増幅器の第2段目に帰還せしめることにより前置増幅器のドリフト電圧を補償するようにしても、出力からドリフト電圧による影響を完全に除去することはできず、出力に若干のドリフトが残存してしまうことは、被告もこれを明らかに争わないところである。

これに対し、本願補正後の発明のドリフト除去の技術が積分回路に関するものであり、積分回路にあつては、その積分出力の電圧の絶対値が重要なのではなく、その積分出力の波形の傾斜が重要であることを前提に、前置増幅器のドリフト電圧が入力信号に基づく積分出力の電圧の絶対値に影響はするが積分出力の波形の傾斜には影響を与えない形で、右ドリフト電圧の影響を完全に除去するものであることが、前示当事者間に争いのない本願補正後の特許請求の範囲と成立に争いのない甲第4号証により認められる本願明細書の発明の詳細な説明の欄の記載と図面により明らかである。

そうとすると、本願補正後の発明のドリフト除去技術と第2引用例の開示するドリフト補償技術とはその目的を異にし、本願補正後の発明は、それが積分回路のドリフト除去技術であつて、第2引用例の多段直結型の直流増幅器のドリフト補償技術では得られない格別の作用効果を有しているというべきであるから、第2引用例の「多段直結型の直流増幅器の入力端を接地したときのその出力を反転増幅器を介して多段直結型の直流増幅器の第2段目に帰還することである点」を挙げて、本願補正後の発明の容易推考性の判断の資料とすることは、適切ということができない。

3  右1、2に述べたとおり、第1引用例には前置増幅器のドリフト除去技術は開示されておらず、第2引用例の開示するドリフト補償技術は本願補正後の発明のドリフト除去技術とはその目的、作用効果を異にするものであるから、第1、第2引用例の記載に基づき本願補正後の発明が当業者の容易に発明をすることができるものということはできず、この点に関する審決の判断は誤りであるといわなければならない。

4  以上のとおりであるから、右の誤つた判断を前提にして、本件補正却下決定を正当なものとして維持し、本願発明の要旨を本件補正前の特許請求の範囲に記載されたものと認定し、本願発明は特許を受けることができないとした審決の結論が誤りであることは明らかであり、審決は違法として取消を免れない。

3  よつて、原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(瀧川叡一 牧野利秋 清野寛甫)

〈以下省略〉

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